仕事を2か月で辞めてきたので自分のことをまとめようと思った
こんにちは。私の名前は薫製とか、男性器とか、そういう感じです。
実は数日前、人生でも初めてあんな風に仕事を辞めたぞ、っていう感じの
スピード退社を果たし、少し考えるところがあったので、
きちんとまとめたいなと思った次第。
自己分析というほどでもないけれど、気持ちの整理をつけたいと思います。
※と言いつつ、実は結構きっちり気持ちの整理はつきつつある。
※友人がブログにまとめているのを見て「ああ、いいなあ」と思ったんだ。
私のこと
・地方在住アラサー
・高卒後そのまま就職(経歴はまた別途まとめます)
・同人活動歴5~6年の文字書き
・好きなことはとことんやりたい性格
・根は真面目なのにクズさも持ち合わせる
・元メンヘラ(一応完治)(若気の至りで腕が傷だらけ)
・LGBT
(※これに関して言うと、戸籍上では同性に当たる方と交際をしているのでLって言い切るべきかもしれないんですが、とりあえずLGBTですということで)
つまり、割とありふれた低学歴の同人女ってことです。
これまでの経歴
高校卒業まで
大学進学を周りから勧められるものの、親に迷惑をかけたくない一心が強く、独り立ちしたい気持ちが強かったので先生の反対を押し切って就職。
実家は決して裕福ではなく、過去にやった病気(起立性調節障害)の関係で私立の通信制高校に進学したという負い目があったので、就職活動をする。
(実は両親からも「本当に大学に行きたいなら行っていい」と言われていたのだが、あと4年もお金をかけさせるなんてとんでもない、と思ってしまうようなそんな性格だった)
一社目は祈られるものの、二社目で無事に内定をいただく。
が、在学中の研修中にパワハラを受け、心が折れそうになったので担任に相談する。
担任激怒。そんなところ君が行くところじゃない!やめなさい!学校のことなんか気にしなくていい!と言ってくれたので、本採用前に辞退。
ちなみにその内定先からは「もう二度とおまえの学校からは新卒とらんよ?どういうことかわかる?おまえのせいで、おまえの後輩が苦しむことになるんだよ?」という責められ方をしたことを10年経った今でも覚えている。
担任は「そんなところにうちの生徒をこれ以上行かせるわけあるか!」と怒ってくれた。
今思えば、なんていい担任だったんだろうか。
というわけで就職先が決まらないまま高校を卒業。
卒業後5年間
とりあえず地元(※高校から車で一時間くらいの超田舎)で仕事を探そうと、レンタルビデオショップのバイトを始める。
これがまたいろいろと黒かったおかげで苦労したのだが、世間知らずだったためふわふわと仕事を続けた。
雇用保険の加入さえなかったが世間知らずの私はよくわかっていなかった。
今考えるともう少しきちんと世の中の仕組みを勉強しておくべきだったと思う。
ただ、これは今現在の社会にもいえることなのだろうけれど、そういうことを教えてくれる人って稀なんだ。結局私は自分で調べて「あっ、うちっておかしいんだ!」と知った。
しかし、この5年間でひとつの転機が訪れる。
それまでは離れていたオタクへの完全復帰である。
バイト代はほとんどがコスプレ費用になった。楽しかった。
おかげで鬱もほとんど治った。楽しみがあるということがこんなにも人を変えるのか。
そしてそこからTwitterを始めるようになり、そしてコスプレ以上に好きなものに出会う。
それが同人活動だった。
元から書くことが好きだったため(実は小説自体は小学生のころから書いていた)、ぐんぐんとのめりこむ。
そして、Twitterという場所が、世界の広さも教えてくれた。
自分がちょっとおかしな労働環境にいる、ということを知ったおかげで、「このままじゃだめだ」と思えるようになる。
当時の推し(今でも心底愛している)が、半歩でも進んだように。私も前へ進まねば。
そう思い、なんとか仕事を辞める。
ただし若すぎたのでその後は完全なノープランだった。
昔から行動はするくせにどこか詰めが甘いのである。
ちなみに初めて本を出したのはこのころ。自分の作った本、だとか、ビックサイトに自分のスペースがあるってことに当時は感動したなあ。
転職活動~失敗~再就職
有給消化後、高校のある市で就職活動を始め、さくっと一社の内定をもらった。
印刷工場だった。
だが、なんとたったの二週間で怪我をして退職する。
この経歴は履歴書にはもう一切書いていないし、たまに自分でも忘れてしまう。
膝の怪我だったためあまり身動きも取れず、自宅療養しつつ原稿に勤しんだ。
春~夏を終えて、秋ごろにようやく就職活動を再開。
高校のある市にあった零細企業のデザイナーになる。
ちなみにこのころの私は某虎と兎のヒーローアニメに夢中だった。
デザイナー半年、リストラされる
さて、デザイナーという肩書を手に入れたのははっきり言って不思議だった。
それとなくフォトショップは使えるが、その程度である。
しかし、引き継ぎの1か月間で先輩にイラストレーターの使い方を教えてもらい、
なんとか形にすることはできるようになった。
しかもその零細企業、土日祝は休みだし残業もほとんどないし(残業代もなかった)
まだ実家から通っていた私だったので必ず定時で帰させてくれた。
しかし零細あるある、試用期間は社会保険未加入。
変だな~とは思いつつ、当時はさっさとお金を貯めて引っ越したかったのでスルー。
…と、ぬるく過ごしていたところ、引っ越しが決まったあたりで
事業縮小による解雇通告を食らう。
社長に「すまん。いつ給料が払えなくなるかもわからん」と頭を下げられたので、ショックだったが転職活動をさっさと開始。
自分のやれることを探して彷徨ったのち、八百屋になる
幸い引っ越しは総て完了していたため、「家遠いね…」と嫌な顔をされることもなく
就職活動をする。
が、経歴がクソなのでデザイナーとして雇ってもらえるはずもなく、
貯えもそうそうなかったので、自分の得意なことを優先して就職先を探す。
といっても私が誇れることなんて接客業の経験くらいだったので、自ずと接客・販売へ。
そんな中、とある八百屋(デパ地下にあるお洒落な感じの)と出会い、
伝説の面接詐欺とのちに言われるほどの面接でパワーを発揮。
八百屋デビューすることになる。
八百屋を3年やって退職した
まだ二十代前半だった私がアラサーという年齢を迎えるまではそこにいた。
ホワイトとは言えなかった。
サービス残業・早出。一年も経っていないのに気付けば中間管理職の立場。
経営が上手くない経営者による自転車操業。
それでも、とにかく人間関係が良好すぎた。
未だにそこで出会った方とは仲が良い。むしろ上司とすら仲が良く、店に顔をよく出しては可愛がってもらっている。
(ちなみに現在の恋人とはここで出会い、惚れ込みすぎた私が二年かけて口説いた)
そして現在の推しにここで出会い、またさらにがらっと人生が変わる。
これまではちま…ちま…と書いてるだけだったのだが、ありがたいことに「読者さん」と呼べる方が私を応援してくれるようになった。
そして推しカプへのパッションがやばすぎて、身体をいつ壊すのかと周りから心配されながらも必死に本を出す。
仕事はつらいけど、でも趣味が楽しいから生きていける!みたいな、そういう状況だった。
だが、やはりサービス業。
土日に休みたい。というか休みがもう少しまともに欲しい。(年間休日は90日台)(有給なんか使えない)
その思いがどうしても捨てきれなかった。
年齢的にも、そろそろ未経験への転職は難しくなってくる。
というわけで、会社側には適当な理由をでっち上げて、転職活動を始める。
いろいろあって、なんとか次へ
八百屋を辞めたのが1月半ば。1か月の有給消化中は穏やかに過ごそうとしていた。
1月末に恋人から交際の了承が。まさか本当に了承してもらえると思ってなくて
「本当ですか?」って敬語で聞き返してしまったのが懐かしい。
だが、2月に入って実家で大トラブル発生。
人を呪わば穴二つ、という言葉がなければ、本気であんなにも誰かを呪いたいと思ったことは初めてだ、と思うような体験をする。
そんな中、転職活動もぶっちゃけ難攻しまくっていた。
在職中から転職活動はしていたのだが、私の希望職は未経験が入り込むのが難しい。
半年くらい(休み休みだった期間はあるが)転職活動をしたのだろうか。
どれくらい落とされたかももう覚えていない。
しかし、4月に入ってから少しいい感じになった。
最終面接までいった企業があったり、内定が出たり。
そんな中、内定が出た企業と同時期に受けた企業から「正社員はまだ難しいけど、うちでスキルを磨いて正社員を目指すフルタイムのバイトにならないか?」という誘いがあった。
内定先かそちらか、と私は悩んだのだが、結局残業時間が少ないバイトスタートを選ぶ。
ちなみに、内定先は広告代理店のデザイナー。
スキルは足らないけど(専門学校卒業したくらいかなあと言われた)年齢的にもまだギリ若手だし、うちで育ってくれるなら育てるよ。一緒にやらないかい?という感じで内定をもらった。
残業が物凄く多い(慣れるまでは100時間もくだらない計算)+残業代がないというところが許容できずに断ったのだが、
紙広告に携われること、スキルアップになること、良い人が多そうだったことが迷った所以である。
直属の上司となる方が本当に話しやすくて…面接30分、雑談20分という感じ。お父さんみたいな人だった。
とはいえ、私の今回の転職はワークライフバランス重視なので、丁重にお断り。
返送されてきた履歴書には、手書きの手紙が添えられていた。ちょっと涙目になった。
と、いうわけで、私はようやく職を得た。
バイトスタートだが、事業に非常に興味が湧き、みなさん和気藹藹とやっていそうな雰囲気があり、面接でも楽しく話せた企業である。
しかも土日祝休み、残業も繁忙期以外は月10時間程度。
早く正規社員に上がろう!そして自分の車を買おう!
そんな希望を持って、スパコミ遠征後の私は意気揚々と新たな会社の扉を開いたのである。
まあ2か月で辞めたんですけどね
ようやくタイトルにたどり着いたわ。なげえわ。
なんで辞めたのかというと、まあ「合わなかった」の一言である。
というか、私自身もどれが決定打だったのかわからない。
どうしてこんな気持ちになるのだろう?と不思議で仕方なかったのだが、もう最後の数日間は完全に鬱状態になっていて、しんどすぎた。
これについてはまた別途まとめたいと思う。
そんな私が気持ちの整理をつけていこうと思う
と、いうわけで。
こう見ると、私は本当に低学歴/低スペック/経歴クソという、いわゆるブラック人材なのだということを自覚する。
だが、それは受け入れるしかないのだ。
というかそれを悲観していても始まらず、こう生きてきたのは外的要因もあったかもしれないけれど、基本的には自分自身の人生を自分で歩んできたに他ならない。
ネガティブなときはとことんネガティブなのだが、今はすごくすっきりとしていて、
これから先のことをきちんと考えたいと素直に思っている。
自分の中での変化が大きい。
大切にしたい趣味ができた。
同人活動は続けていきたい。大好きなものを、好きなように書いていたいのだ。
ゆくゆくは商業等にも手を広げていきたいと思う程度には、私にとって「書く」ことはかけがえのないものである。
加えて、大切にしたい人もできた。
交際としてはまだ半年程度なのだが(付き合い始めてから全然落ち着かない私で、恋人には本当に申し訳ない…)、私はできれば彼女とこれから先の人生を歩みたいと思っている。
お互いの関係を長い目で見ていることもあり、数年後とはいえ同棲をすることも決めている。
彼女自身も複雑な環境があるので、場合によっては養子縁組などをして
事実上結婚に近しいことをして、彼女を現在の血縁から引きはがすことも私は考えている。
それだけ尽くしたい、どうしても大切にしたい存在だ。
(なんでここまで彼女に惚れ込んでいるのか、自分でも不思議になるときがある)
そして、私は世間の男性と遜色ないくらいの働き手になって、彼女のことを支えていきたいのだ。
ある意味、趣味だけの人間だったら「今がよければいいや」になるのだけれど、
そうもいかないというのが、ここまで自分を見つめなおすきっかけであったかもしれない。
そんな私が、だらだらと書きながら自分の気持ちと、そして現状に整理をつける場である。