転職して2か月が経った

え?気付いたらそんなに経った?

まじか?

 

相変わらずです。

仕事を覚えつつ、少しずつ前進しています。

むしろ仲の良いいつものメンバーができてしまったおかげで、

仕事帰りのご飯とかが増えたこと増えたこと。(笑)

いいことなんでしょうけど、原稿の時間はあんまりとれないなあ。

 

お局、現る。

いや、ずっといましたけどね。

ちょっと相性が悪いみたいで、だいぶ嫌われたかな、なんて思ってました。

そう、結構過去形です。

仕事を覚えてやれるようになってきたあたりで盛り返して、今は割と普通です。

(とはいえ機嫌悪いと面倒なんですよね……)

どこも一緒か。仕方ないな。

 

だがしかし。

まずは確定事項。

別の営業所に異動が決定しました。来月から。

・定時は存在しない

・繁忙期は鬼のように忙しい(※これから閑散期に入ります)

・敷地が広い

・家から遠い(通勤が今の倍以上に……)

そんな感じの異動先。正直憂鬱です。

ただまあ、エリア内での異動なので致し方ないですね。

 

むしろエリア移動が発生=転勤フラグが立っていることのほうが恐ろしいです。

若いメンバーには恐らく声がかかるやつなんですが、

さすがに今は無理やな……と素直に思います……。

 

ひとまず新しい配属先でもなんとか確実にやれたらいいなあ、と。

今の配属店みたいな仲良しになれる人はいなさそうなんですけど

聞けば答えてくれる優しい方々ばかりなので、とりあえずやってみます。。。

 

なんか最近「同人卒業」(に近しい状況)もありえるなと思い始めた。

というか忙しいしで、なんだかんだペースが落ちてます。

でもそれも「仕方ないな」って思うようになってきてるし、

妙に諦めムードになっても平気になってきた。

もちろん、書けるだけ書きたいとは思ってるんですよ。

でも前ほどかじりついてでも!とはなってないです。

それよりも仕事でがんがんお金を稼いで、やりたいことをやっていけるんなら

それもまたいいのかも、と。

新しい車買いたいですし、彼女との同棲資金も貯めたいですし。

ていうか「お金になる残業」がほとんど経験ないんで、

残業代出るのすごいうれしい。

(ひどい台詞ですよねえ)

(前の会社はみなし残業代しか残業代出なかったんで…)

 

もし転勤になったら?

そこらへん、彼女についてきてほしいって言ったんですけど頷いてもらえませんでした。

なのでとりあえずいったん保留してる。

まあ、そこでついてきてもらえなくても、それはそれで仕方ないよね、とも思います。

だってお互いに仕事あるし、彼女の家の事情とかもあるしね。

でも本音としては早く同棲したい。

「家に帰る」ことを「楽しみ」にしたいのも本音。

というか本音としては転勤したくないです、あと数年は。

エリア内異動は全然まだ受け付けるんですけども…。

 

まあ、そんな感じで元気です。

やれること増えてきたし、もちろんまだまだやることはあるんですが

2か月はなんとか超えました。

次の目標は半年かなあ。

異動先でもなんとかやっていけますように。

(何度か手伝いに行っているところなのである程度はわかってる)

(通常業務としてはほとんど同じ)

 

は~~それにしても眠いわ。原稿進まんわぁ。

 

 

 

転職してそろそろ1か月になった

疲れ果てていましたがゆっくりしたので少し回復しました。

北海道の地震につきましては、震度4程度の地域だったため

停電も復旧し、今のところは大丈夫な感じです。

さてさて、せっかくなので1か月経ちましたのご報告を。

 

こんなものか、みたいな感じ。

ぶっちゃけ「最高!」とは言えない環境ですが、

2か月で辞めたところと比べるとずいぶんと居心地は良いです。

1か月がそろそろ経過しますが、

仲良く話せる人もいるし、困ったときに直ぐに声かけられる人もいるし

たぶん、これからもっと馴染んでいけるような気がします。

残業は思ったよりありそうですが、まあ許容範囲。

割と放置されることもあるんですが(笑)

いうほど期待されてないっぽいので、少しずつ仕事を覚えていこうかと思います。

憶えることは非常に多いんですが、とりあえず接客に関しては一切問題ないようなので

そこだけは経験者でよかったなあとおもいます。

 

ほぼ同期がいる、という新感覚。

これが驚き。ずいぶんと久しぶりです、こういうの。

2週間違いの先輩がいるんですが、この方が本当にいい人で…。

すぐにその方に懐き、ふたりであれこれと話して頑張ってます。

+2年目の方も加わって三人で飲み会とか開催されて、

そういう意味では本当に胸を撫で下ろしてます。

ていうかこの1か月で会社の歓迎会も含めて3回は社内の人とご飯に行ってるので

とりあえず社内で味方は作れたのかな、という印象。

 

社風的には…どうなんだろう?

中堅が何人かいなくなってしまった結果の中途入社複数、みたいな今回らしい。

なので私と先輩のほかにも数か月前に入社した人が別営業所にいたり、

10月にももうひとり入社してくるらしいんです。

長くいる人か新しい人かみたいな感じなので、

そういう意味でもまあ、まったり馴染んでいくしかなさそうです。

 

放置に関しては…なんだろう、教育係みたいな人がいないに等しいんです(笑)

質問すれば答えてもらえるんでなんとかなってます。

先輩から教えられたことを横流ししてもらったり、

2年目の先輩に教えてもらってなんとかかんとか……。

同期先輩とは「自分らよくここまでやってきた」「えらい」とか話して笑ってます。

さすがに10月の新人さんはほぼ同期なので無理だけど、

いつか新人が来たときは真っ先に教育係になりますって言いたいなぁ。

そういう制度?意識?がないようなので、

そこらへんは自分が中堅になったのちに少しずつ改善していくべきだな、と。

じゃなきゃ、こうして社会をある程度知っている中途だからまだやれていることも

新卒なんてきたら直ぐに心折れちゃう環境ダヨ…。

というか状況によっては私も心折れてたよー!って感じですが、

まあなんとかなってるんで、頑張れそうです。

 

ちなみに今一番つらいのは給料日まであと二週間ちょっとあることですかね……

締日の翌日に入社扱いだったばかりに…御賃金が早くほしい……

 

 

 

なんだかんだ就職が決まった

ええ、そんな感じのご報告。

 

再就職します。

よくよく考えたら結局無職だったのは1か月程度なので、よくやったじゃないか、なんて思っています。

7月初旬に前の仕事を辞めてからこのブログを始めたわけですが

自分の中での転職先に求めるラインが大幅に下がったおかげか、意外とあっさり決まりました。

まあ生きた心地してなかったですけどね。

 

再就職に至るまで

実は、前回の記事で触れた職には結局就く気持ちがなくなりました。

職場見学に伺い、二日間のインターンシップにも参加しました。

ただ、その中でどうしてもね、気持ちの整理がつかなかったんですよ。

福祉の道ってすごいな、と思いました。

「すごい」と「やりたい」は別物なのだ、とも。

身体的負担を心配する声のほうがあったんですが、私は精神的負担のほうがやばいな、と自分の性格を考えて判断しました。

エージェントのFさんに平謝りしましたが、さすがは優しいFさんで

「大丈夫です。あなたが何事も深く考えるのはわかっていますし、その判断は自分でするもの。僕がどういえるものではありません」

「良い経験になったと思っていただけるのであれば、それで充分です」

と言ってくれました。天使か?

 

さて、今回内定を頂いたのはインターンシップ1日目から帰ってきた私が

某転職サイトで見つけて応募した企業です。

結局、この1か月間の転職活動については

応募:3社

見学:2社(応募前)

書類通過:3社(100%じゃねえか…)

辞退:4社

内定:1社

という、こうして数字で見ると「私すごくない?」って思う感じになりました。

なんでって、冬の転職活動がマジで難航したもので……。

 

ただ、冬と今回で違うことといえば

「自分の特技・スキルを生かせる」で探したのが大きかったかも。

なのでこれまでの記事のように改めて自己分析したのが功を奏したのかもしれません。

 

今の気持ち

ほっとしてる。

やっぱり生きた心地しなかったんです。

金銭的にも心もとないので夏コミ終わったらバイトでもするかと思ってたレベル。

精神的にも自堕落すぎて腐るかと思った。文字書く気すら起きないんだぜ。

内定先も、面接の際に他にも受ける人が多くいるとのことで

一週間~二週間ほどお待ちくださいと言われてました。

その間に別のところ受けないとまずいよな…とか、そういう悶々とした気持ちで。

ただ、実際のところ面接から二日後にはあっさり内定が出たので、

よくわからんけど「まああいつならいいんでないかな」ってなったんじゃないだろうか。

ありがたいので頑張ってみようと思います。

 

ちなみに、結局サービス業に戻ることにしました。

でもシフト制の福祉に挑戦した時点で、私シフト制でもいいんじゃん、って思えたので、

ここぞ!ってところだけ休みが取れればそれでいいです。

恋人も同じ市内なので、会う時間が減ってもその頻度を多くすれば問題はなさそう。

なにより相変わらず私のやることなすことを否定もせず、きちんと応援してくれる

そんな最高に優しくて理解のある、素敵な彼女です。

 

これからのこと

せっかくなのでこのブログに少しずつ仕事が始まったあとも

いろいろ書いていけたらいいなと思います。気持ちの整理に。

でも正直、もう短期離職はできないので(年齢的にも経歴的にも)

余程のことがない限り、ドロップアウトはしたくないと考えています。

一応待遇もそこまで悪くはないし……そもそも賞与がきちんと出ればすでに正規職員だったほうの前職の3年目の給与を超えるので……。

ちなみに2か月でやめた非正規の前職は、履歴書にすら記載してません。

社保入ってるけどバイトですしね。

 

そんなわけで、結局こうして私はサービス業に戻ってきました。

でも、それもまた人生だなあ、とおもいます。

誕生日も迎えて、30歳まであと2年になってしまった。

新しい職場で30を迎えるのでしょうし、そうなったらそのまま突き進めますように、とおもいます。

彼女を養えるくらいになれたらいいんだけどなぁ。

 

ひとまず、そんなご報告でした。

目標は来年1月の彼女との1年記念日に、指輪をプレゼントしてあげられるくらいの貯金を作ること、かなぁ。

あ、でもその前に、自分の車買わなきゃ……。笑

 

 

 

これからの話をしようと思った

ブログ書いてないで原稿をしてほしい、そんな毎日です。

はっはっは。

 

今回はこれまでの経歴や経緯を踏まえて、これから先のことを考えた気持ちをまとめようと思う。

たぶんこれをまとめ終えたらだいぶすっきりするのではないだろうか。

なんとなく、そう思う。

 

「憧れ」で仕事を探すことは辞めよう

と、今は素直に思っている。

憧れは希望だとか、やってみたいことだとか、そういう言葉にも言い換えられる。

でも、私にとっての希望って、「憧れ」だったな、と思う。

サービス業が嫌だったのは休みが少ないからだったり、

みんなが休んでる日に仕事をしていることの、少しばかりの惨めな気持ちだったり。

だから私は憧れていたんだよ。

土日祝休みのデスクワーク、ってだけで、すげー!かっこいー!みたいな、そんな気持ちがあったよ。

そこに、自分に適性があるのかどうか?とかそういう思考が足らなかった。

漠然と、みんなみたいになりたいな~いいな~って、そう思ってたに過ぎない気がする。

もちろん、やってみなけりゃ適性もなにもないんだけれど、性格上のものからなんとなく見えることもあるわけで。

 

そもそも、私の転職の「芯」はなんだったか?

これははっきりと言える。

「休日を増やすこと」「ワークライフバランスを整えること」

これだけは本当に揺るぎない。

ここにある背景は、自分の趣味をもっと心行くまで楽しみたいという思い、

そして大切にしたい人を大切にする時間が欲しいという思い。

心と時間に余裕を持って、仕事も頑張って、オフも楽しんで生きていく。

そういう生き方がしたいのだ。

結果的に、そりゃあ土日祝休みのほうが休日は増える傾向にあるからそうなった、とも言えるのだけれど

せっかくの日曜日に一文字も書けなくなるなんてことになっちゃ、その転職、大失敗ですよね、っていう。

 

私ってどういう人間だったっけ、と考えた

本来ここから考えるべきだったんだと思う。

隣の芝生が青いのなんて当然だ。どこ見たって青々としているさ。

やってみたい!やってみたい!が先行していちゃあ、そりゃあ失敗してもなんの文句も言えないよ。

それならせめて、自分という人間から見えるもののほうが適性が高いんじゃないか?

適性云々の前に、自分自身も納得して仕事できるんじゃないのか?

「ほんとにこれで大丈夫?」という不安を抱えることもないんじゃないのか?

(※とはいえ、転職に不安はつきものなので、深く考えても仕方ないけれど)

そんなわけで、いくつかの「私像」を挙げさせていただく。

また、自分自身の考察に加えて、他者からの声もまじえていきたい。

 

・なんだかんだ人当たりが良い

→自分自身コミュ障だろ、と思っているのだが、誰からも信じていただけたことがない。

そもそも販売の経歴が長いこともあり、むしろお客さんからは好かれることが多いのだ。

これは自分の強みだと思う。

地元エージェントのFさんには、物腰の柔らかさや雰囲気の良さ、丁寧な対応は誇るべきスキルであるとも言われている。

「工場でじっと仕事をしているような人間じゃない」と言われた、という話をFさんにしたところ、大笑いされてしまった。

(ちなみにFさんとはかれこれ半年以上の付き合いで、本当にお世話になっている方だ。たぶん転職時に最も相談をしている方ではないだろうか)

「僕もそう思います。本人が望まない限り、僕もあなたに製造求人は渡しませんよ」

やっぱり、私はそういう人間なんだなあ、と、この歳になって腑に落ちた。

 

ということは、やっぱり人と関わる仕事をするべきなんだろうなあ。

 

・見えないお客さん相手が苦手だ

→これは辞めた仕事で痛感した。

表情も見えない、そもそもペルソナを作ってその人のことを想像して…その時点で、すでに躓いていた。

だって、目の前のお客さんであればその表情が見えるのだ。声のトーンや、会話を進める中で見えてくる、様々な情報がある。

八百屋のころの話だが、たとえば「この野菜ってどう食べたらいいの?」と聞かれることがある。

私はとりあえず「これなら○○と○○ですね」と簡単にまずは疑問を解消する。

それで終わる方は正直終わってしまうのだが、それに終わらない方もいるのだ。

そういうときは「なにを作りたいですか?」とか、そういう疑問をこちらから投げかけよう。

そのとき、それを求めている人ならば返事があって、会話が生まれる。

その会話から「それならこちらのほうがいいですね」だとか「ああ、それならこれはぴったりです」というふうに、勧めるものが全く変化を遂げるわけだ。

ただし、そういうものを求めていない方は、表情や声のトーンに表れる。

そういうときは、引っ込むのが吉だ。

「またなにかございましたらお気軽にお声かけください」なんて言ってあっさりと身を引く。それが正解。

…みたいな、ひとりへの接客といってもひとつのルーチンにはならない。

顔見知りの方なのか、何度か来たことがある程度の方なのか、ほとんど初めての方なのか。

それによってもずいぶんと変わるわけで…これを意識的にやれる人を、私は尊敬する。

そう、今更気付いたのだが、私はこれらを総て無意識に行っていた

だから改めてペルソナを作り上げて、その方のために語りかける…ということが非常に難しかったのである。

まあそのなんだ、無意識にそれがやれるってのもある意味才能なので、それを生かしていくしかあるまい。

むしろ気付くのが遅すぎる。それだもの、接客が好きだわな。

 

・世話焼きなほうだと思う

これで身を滅ぼしてきた経験もなきにしもあらずである。

困っている人を見過ごせなくて、自分も大変なのに首を突っ込むときがある。

なんだろうね、大変な自分が好きなわけでもないし、酔っているわけでもないんだけれど。

ほどほどにするようになったつもりだが、これはもう性格なのだろうと思う。

 

・責任感が(無駄に)強い

一度任されたらやり抜きたい性分だ。隠れ負けず嫌いである。

よく泣くほうだが、人生で最も多いのは「悔し泣き」だろう。

(学生時代は試合で負けるたびに泣いていたのだが、剣道でもバスケでもバレーでも、そう思うとどれだけ泣き虫だよという話だ)

これは多分、同人活動でも発揮されているのだろうなあ、と…一度も新刊を落としたことのない、この「絶対やり抜くマン」っぷり。

まあいいや、なんて口で言っても、結局はそう思えてないんだよなあ。

 

・人からモチベーションをもらうとすごく励みになる

これ、同人活動でも本当に痛感したことでもある。

かつ、仕事でもそうだった。

なんだろうね、褒められると嬉しいし、期待されると頑張りたくなっちゃうんだな。

数字として表れるでもよし、言語化されるでもよし。

一番は後者なんだなあ、とも思う。

つまるところ、私は「人から感謝されることが好き」なんだろうなあ。

 

・ストレス耐性は少し低め

うん、結構メンタルは弱い。

のだけれど、多少のストレスを与えられることで同人がはかどるタイプでもあるので、

ここはほどほどが好ましいのだと思われる。

 

で、ここまで考えたところで、

やっぱり、どう考えても(ストレス耐性が低くても)私は目の前の人と関わる職、それが感謝につながる職が、一等に向いているんだろう、と思ったのである。

 

つい数日前まではこう考えていた

それで、仕事を辞める日くらいまでは、営業やってみようって思ってた。

実は私、笑ってしまうほどに「営業やらないの?」「営業だと思った」と言われる。

友人から勧められるだけならまだわかる。私も笑ってスルーする。

これがまた、違う職種で応募した面接先で言われたり、ハローワークで勘違いされたり、エージェントのFさんにまで勧められる始末だったのだ。

いやいや、ここまで来ると私って営業向きなの?って思ってしまう。

ハローワークでは別の職種の求人票を持って行っているのに「だって営業でしょう?」って言われたので、慌てて「チガイマス、デザイナーのほうデス……」と言ったくらいだ。

(相談員さんに「あれっ」と言われた…)

付き合いが長くなり始めたハローワークの別の相談員さんからも「これどうでしょう?」と求人票を渡されたことがあった。

そんな経験初めてだったのでびっくりしたが(割とレアなんだろう)、それも結局とある広告代理店の提案営業だった。

Fさんにも、始め勧められたのは営業だったし、実はFさん経由で一社内定までいただいている。

しかも半年以上経った今でも、その企業は私のことを気にかけてくれているのだというのだから驚きだ。

 

なんかねえ、人当たりの良さとか物腰の柔らかさとか、すごく真面目(に見える)だとか丁寧さだとか、

そういうところが本当に営業向きに見えるみたいだし、やらせてみたくなるみたい。

ただ、忘れる勿れ、私は元メンヘラのストレス耐性が低い女である。

 

でも、やってみるかな、みたいなこと思ってた。

2か月で仕事辞めたし、逆に怖いものなしになってる状態って言ったらいいのかな。

実は提案営業とか応募したし(選考通った)ルート営業も応募したし(選考通って昨日会社訪問してきた)

(あとなんでかわからないけど一社工場の応募してたんだ先週の私)(書類通っちゃったから面接はいこうと思うけど、どう考えても適性なくない?)

なんか、なんだろう……

なんでもやるわ!今の私、なんでもやれるわ!!!!

みたいな、謎のハイになってた。すごい、ここまでくると面白い。こわい。

 

Fさんと相談して目から鱗がボロボロ落ちた

まあ、そんなわけで、前に内定もらった営業にもう一回アタックしてみようかなみたいなことを思ってもいて

(面接した感じも、ちいさな会社だったけど本当に雰囲気が良かったんだ…)

仕事を辞めたその日の夕方に、Fさんと面談の時間をもらった。

Fさんには営業職を辞退したときに元メンヘラであることも告白し、

それもあって家族(母)から「営業だけはやめておきなさい」と言われていることも伝えてある。

Fさんはまず、私がとてつもなく落ち込んでいると思ったようだ。

だが残念(?)、私は非常にすっきりとしていて、その旨を伝える。

非常に安心されていた。すまんな、私はめちゃくちゃ元気だ。

 

そこで、上記のような「私という人間」の話になった。

そして、今非常にハイになっていて、営業をやるべきかと思う話も。

でも、Fさんは「いいですね!それじゃあ以前のあの会社に連絡しましょう!」とは、言わなかった

私は正直、これがFさんというエージェントを心底信頼しているところでもある。

エージェントははっきり言って利益重視の人も多い。

そこを経由して人が入社しないとエージェント側にはお金が入らないシステムが多いのだ。

地元の職業紹介所という名ではあるものの、そこもエージェントであることに変わりはない。

それなのに、Fさんは頷かなかった。これまでの付き合いも含めて、私という人間をしっかりと考えたうえで、ひとつの話をしてくれたのである。

 

その話は本当に目から鱗だった。

というか、どうして今までその職に私の目が向かなかったのだろう、とも思う。

いや、イメージがあまり良くないとか、休みが少なさそうだとか、シフト勤務になってしまうだとか、そういうところがあったおかげで冬の転職時には一切考えていなかった、というところが大きいか。

Fさんもエージェントになる前に経験した職であるというその話を聞いて、

ぶっちゃけ、めちゃくちゃに惹かれてしまった。

(周りからも素直だなと言われるんだけど、どうやら私は素直らしくて、いいなと思ったら割と真っ直ぐにいいなと受け止めてしまう)

・人と関われる

・営業よりももっと感謝される立場に近い

・恐らく適正がある

「僕は、胸を張ってあなたに向いているのではないかという職として挙げたい」とも言ってくれた。

 

結局私は、それをやってみたいと思っている

自己分析とは名ばかりの、たぶん、そう思っているからこそ改めて自分を見つめなおしたくなったのだと思う。

その仕事のすぐそばで働く恋人にも相談した。

「生半可な気持ちじゃできない仕事だとは思う」という厳しい言葉ももらった。

でも、「性格的にはすごく向いていると思う」「やりたいと思うのであれば反対なんかしない。応援する」とも言ってくれた。

 

土日祝休みじゃないし、言うほど休みも多くないだろうし、

でも、だからこそ待遇の改善を進めていかなければいけないといわれている業界でもある。

Fさんは「僕が紹介するのは、経験職である僕だからこそ選ぶ、きちんとしたところのみです」とも言ってくれた。

もし会社見学に行くときは、絶対に僕も一緒に行きます、とも。

 

もちろん、100%適性があるなんて自分でも思っていない。

絶対につらくなることはあるだろう。しんどいと思うことなんてたくさんあるだろう。

でもさあ、

100%の人間なんていないように、100%の仕事なんてない

好きなことを仕事にしたって、つらいときはつらい。

趣味が仕事になったって、しんどいときはしんどい。

っていうのは、営業やろうかな!なんて思ってたときも考えてたことなんだけれど、

なにをやるにも不安や嫌なイメージはついてくるんだし、

嫌なイメージなかった仕事に就いてみたら鬱一歩手前になっちゃったし。

 

それなら、私が私らしくあれる、

「あー、おまえっぽい」

そう言ってもらえることをやり始めてみたいな、と思う。

 

たぶん、その意思表示がしたかった気持ちも大きいのだと思う。

両親にも近いうちに相談しようと思っているが、母が嫌がるのは営業だけなので(笑)

きっと反対なんてされないだろう。

そもそも、元メンヘラで、自殺未遂までして救急車に乗った経験のある私だ。

両親にとって、私が仕事をして独り暮らしをして、趣味を楽しんで生きているなんて

そんな状況だけで、全然いいんだろう。

(ちなみに両親には彼女がいることもカミングアウト済みである)

 

 

原稿を終えたら、本格的に動き出そうと思う。

Fさんに話を通して、職場見学にも行きたい。

前向きに進んでいきたい。

ちょっと文句を言いながらでも、「まあでも、私はこれが一番良かったよ」と思えるような、そんな環境に身を置けるように。

30歳を迎えたときに「あのときの選択は間違ってなかったなあ」と思えたら、

それだけで充分かな、なんて、今は思っているのだった。

 

ああ、やっぱりすっきりした。

自分らしく生きていければ、私はそれでいいや。

 

 

仕事を2か月で辞めた経緯をまとめようと思った

離煙パイプを始めてから煙草の灰をぽろっと落としがちになった私です。おはようございます。

用事があるので、その前に昨日に引き続き気持ちの整理をしようと思う。

 

~入社日までのこと

電話がきたとき、正直内定の連絡だと思った。

電話で祈られることはないだろうと思っていたし、面接でもすごくきちんと話せたし、和気藹藹と笑いのこぼれる良い面接ができたからだ。

が、「スキルが足りないので、正社員としては難しい…」と。

そして「ただ、バイト採用で正社員を目指すという形ではどうでしょうか」。

私の真面目な人柄や素直さに惹かれ、一緒に仕事がしたいと思った、と言われた。

結構頭が真っ白になってしまい、とりあえず条件面等の話だけでも、ということで面談が決まる。

内定先(広告代理店)にお断りの電話を入れ、面談へ。

 

面談の時間間違えたんですけどね。クソでクズである。

快く対応してもらえたり、もしかしたらこういうこともできるかもという話もあって、すごく親身になってくれる企業なのだなあという印象を受ける。

ここでやってみるべきかな、と思ったのは、そのころ受けている他の企業にそこまで魅力を感じていなかったから余計だった。

 

周りに相談もしたけれど、皆一様に「そこまで親身な会社ならいいんじゃないか」「楽しそうだと思うのならば進んでみるべきじゃないか」という返答だった。

当然だと思う。私が相談された側でもそう言うだろう。

 

それもあって、会社が鬼のように遠いとかバイトスタートの不安とか、そういうものは飲み込んで、非正規雇用を受け入れることに。

企業側の事情もあって、入社日を決める面談の二日後に初出社となった。

慌てて準備をして、恋人にも少しだけ会って、はやく正社員になれるよう頑張るね、なんて話をしていた。

 

入社日当日。元気に挨拶をするものの、始業直後だからかいろんな人がいてようわからん。

そんな中、課長が救ってくれて、そのまま入社手続き。

部署の方への挨拶等も済ませて、設定済みのPCや自分のデスクを与えられる。

ちょっと浮かれた。自分専用のデスクなんて何年振りだろう。

隣に座った方は明日から産休だという話。その日一日をお世話になった。

ちなみに入社日当日の違和感は二点。

・昼休憩を誰も一時間取らない

→早い人だと10分で終えていた。マジかよと思った。

私は45分休憩だったので45分きちんといただいたが、長くても30分しかとっていないようだった。

過去のデザイナー時代も1時間休憩のところ30分しか取れなかったのだが、前職では休憩時間はきちんともらっていたので少し引く。

・就業後に勉強会が開催されるらしかったのだが、ちょっと変なくらい「ほらほら帰って!いいから!帰るんだ!」みたいな感じで帰された

→後々から知るんだけど、どうやらこの勉強会は皆好きじゃなかったみたいだ。

調べたら出てきたんだけど、ちょっと宗教じみているというか…まあ、自己啓発のため、みたいなやつなんだろう。

あっという間に一日を終えて、とりあえず右も左もわからなかった感じだった。

 

入社1か月

もうね、ついていくのに必死でした。あと通勤が辛すぎた。

(通勤に関しては実家に頼み込んで車を貸してもらい改善されたけど)

様々な違和感が目につくようになってくる。

・相変わらず皆休憩が短いどころか取れてない人もいる

→私も結局30分で休憩を終わらせるようになってしまった

休憩きちんと取りなよと言われることもなく、

むしろ悪意のない感じでやんわりと休憩長い的なことを言われたこともある。

そういう社風なのか知らんけど、せめて上司は休憩とりなさいって指導すべきだよね。

・先輩方の言っていることがバラバラ

→これは仕事上仕方のないことかもしれない。

コンプライアンス的に詳しい説明はできないのだけれど、感覚もかなり必要になる部署にいた。

救いとしては、先輩方が皆非常に優しかったこと。感謝しかない。とても頼っていた。

・社員の島とバイトの島に壁を感じる

→皆仲が良いんだけど、社員組がいっそうに仲が良い。

そのおかげで上長への相談がしにくかった。

もちろんそんなことはきにしてもいられないので、相談はしまくった。

・部署ミーティングが大荒れ

→初日こそ穏やかだったものの、その後は荒れることのほうが多かった。毎日開催される部署ミーティング。

具体的に言うと、上司が目の前で上長にしこたま怒られる。

その詰め方がまた恐ろしいのなんのって。すごい。

上長も仕事に対して物凄く厳しい人で、しかし本気で怒ると我々の心が折れてしまうので、上司(上長にとって直属の部下/10年選手の管理職)を叱るのだとか。

でも目の前であんなに叱られるとこっちもなにも言えなくなるヨ。。。

怒られる姿を見せられるだけでも人のパフォーマンスは下がるって見たことあるけど、本当だなあと思いました。

でもミーティングはすごく有意義な時間でもあった。学ぶことがすごく多かった。

嫌な空気で終わっても、その後皆がきちんと気持ちを立て直すので、業務時間にまで嫌な空気が漂うことはなかった。

・会社が無音

→これ、これまで音楽の流れていない会社に所属したことのない私にとってはかなりびっくりだった。

電話応対も多い会社ではあったけど、時間によってはシーーーーン…としてて。

それが集中している時間であればいいんだけどね、発言したいときはちょっと怖かったよね。

・社内にまだ名前も知らん人がいる

→別の事業部もあったおかげで、顔はわかるけど名前はわからん人がまだまだいた。

他のグループの人が訪ねてきても、どこどこの誰なのか教えてくれない。

たまに別部署の先輩(優しい)がそっと教えてくれる程度だった。

・教育方針が定まってない

→入社一か月以内にひとつの仕事を任された。

なんとか頑張ったが、ポンコツの私はなかなかどうにもうまくいかない。

結局きちんとじっくり教えなさいということで上長が上司を叱った。

帰り間際の報告で上司に謝ったが「いいんだよー、やらせすぎたこちらが悪いんだよ。気にしないで、ごめんね」と言われてしまう。

結局ここの人たちはじっくり教えて育てたいのか、それともなんでもやらせて自主的に育ってほしいのか、なんかわからんな、と思った。

・スキル不足の「スキル」を読み違えていた

→これは私の甘さなんだけれど、私はツールを使う方面のスキル不足だと思ってた。

が、蓋を開けてみたらそうじゃなかった。

ツールを使うよりも、どう仕事を進めていくか…まあいわゆる「売るスキル」みたいなのが必要という意味だったのだ。

(事実、ツールを使うスキル不足はそこまで大きな障害ではなかった)

・情報共有がされてこない

→朝来たら上司がいない。で、なんでも終日不在だそうだ。

えっ、聞いてないんですけど……。という。

社員はサイボウズなどで確認できたようだが、それを落とし込んでくれる存在がいなかった。

 

まあでも、そんな中だったが私はまだまだ頑張ろうと思っていた。

休みが多くて、正規になれば給与水準もそこそこ良くて、ボーナスがあって、残業も少なくて。

馴染みきれてないのはそのうちなんとかなる、と思ったよ。

 

そして退社へ

うん、2か月しか在籍してないからね。

先に挙げた項目たちは相変わらずだった。

壁を感じていたのは私だけではなかったようで、バイトの先輩がミーティングで号泣したり。

なんというか、とにかく社内がぎくしゃくしていたのかもしれない。

・どうやら社内体制を変えたばかりらしい

→部署異動があったり、産休で複数人抜けていたり。

おかげで私が入社してからも積極的に採用活動をしていた。

その割に誰も入社してこなかったけど。

・日に日に雰囲気が悪いと感じるようになる

→これは気の持ちようだと思ったから、積極的に周りとコミュニケーションを取るようにしていた。

でもまあ、そんなことで改善されるようなものではなかったのかもしれない。

 

結局、つらいとかしんどいとか思うようになり、原稿も思うように進まなくなった。

決して人間関係が悪いわけではない

先輩方、上司、別部署の方、みなさん優しいのだ。

和気あいあいと話をするときだって普通にある。

環境だって悪いわけではなかった

こんなことでくじけてどうする。まだ2か月弱だぞ。

3ヶ月いればなにか変わるかもしれない。半年いればすっと仕事が楽になったという話も聞く。

休みだって多い(1か月目のあれと全く同じこと)…云々で、必死に自分を納得させていた。

だが、今となって思うのは、

必死に自分を納得させていた時点で、なにか違うのではないだろうか。

 

限界だ。そう思ったのはとある日曜のことだった。

前日、身内と会ったときに「私、あそこはもうだめかもしれない」なんて弱音を吐いたからかもしれない。

(身内には「おまえでそんな難しい仕事なら本当に難しいんだなー」って言われたから、身内にとっては私は優秀らしい)

その日はなんの予定もなかった。原稿日和だ。

夏コミの原稿をやらなきゃいけない。

それなのに、結果的にその日は一文字も書けなかった。

これ、私にとっては本当に「おかしい!!!!!」ということである。

どんなに仕事が辛くても、どんなに精神的に落ち込んでいても、せめて一ページだとか、書けるだけは、とか、そうやって書くことをしてきた人間だった。

ある意味原稿に逃避している状況でもあったのだけれど、しかしその逃避さえもできなくなったのだ。

はっきり言う。恐らく、すでにそこにいた時点で鬱状態だった。

そして、限界を感じた私は転職活動を始めることを決意。

せめて決まるまでは在職しよう。そう思っていた。

 

しかし、人間とはかくも弱きものである。いや、私が弱いんだけど。

週明け、月曜日はなんとか仕事を終えた。いつも通り、笑って話をすることもあった。

だが、日曜から感じていた手の震えが止まらない。

会社では息が詰まる。日曜からまともに食事ができない。

緊張しなくなったおかげでなくなったはずの早朝覚醒までやってきた。

翌日火曜日、私は仕事を早退した。もうなにもできなかった。

そしてさらに翌日、私は会社を退職した。

 

でもね、なんでかすごく「すっきり」してた

これが不思議なところで、罪悪感がなかったのだ。

私はこう文章だけで見ると非常にクズなやつなのだが、たぶん根は真面目なのだと思う。

ポンコツすぎる自分が申し訳なかったし、会社の利益にならない自分を責めたくもなったし(とはいえ、新人なのにそんなことで自分を追い詰めてはいけないというのもわかっていた)

普段の私なら、こういうときものすごく落ち込むし、罪悪感でいっぱいだと思う。

それなのに、私は一切落ち込まなかった。

むしろその日のうちにお世話になっている地元の転職エージェントさんと面談をしてきたほどだ。

エージェントさんからも「落ち込んでいないのでしたらよかった」と言われた。

付き合いもそれなりに長くなったので、私の性格はある程度把握している方なのである。

すっきりしたおかげで、今の私は比較的落ち着いていて、こんなブログを書けているというわけだ。

三日前に退職したのが未だに信じられない。

 

そう、辞めるまでの間にわかったことがある。

内部の人間から見ても、ちょっと不思議な会社だったみたいだ。

別部署のパートさんからも、「うちで正社員になるのはやめておきなよ」と言われたりした。

そんなふうに思っている人がいることが余計に、「あ、私も変だなって思っててもおかしくないんだ」って思わされたかもしれない。

 

辞めるとき、みなさんとても優しい言葉をかけてくれた。

たとえそれが建前であろうと、そういった言葉が出てくるだけ、いいところだったのだろうとは思う。

ただ、なんの後悔もしていない。

私はこの2か月でいくつかのことを学んだ。

それを踏まえて、これから先のことを今、すこぶる真面目に考えている。

 

…のだけれど、長文書きだからなのか、すぐに一記事が長くなってしまう。

そんなわけで、これから先の「芯」をどう固めたか、ということは

また別の機会にまとめたいと思う。

 

午後から企業訪問に参るので、気楽な気持ちで行ってくる。

 

あ、最後にひとつ、結論。

 

直感とか肌で感じた違和感とか、そういうものは見逃してはいけないサインだ。

 

これだけは、いつまでも忘れずにいたいと、そう思う。

 

仕事を2か月で辞めてきたので自分のことをまとめようと思った

こんにちは。私の名前は薫製とか、男性器とか、そういう感じです。

実は数日前、人生でも初めてあんな風に仕事を辞めたぞ、っていう感じの

スピード退社を果たし、少し考えるところがあったので、

きちんとまとめたいなと思った次第。

自己分析というほどでもないけれど、気持ちの整理をつけたいと思います。

 

※と言いつつ、実は結構きっちり気持ちの整理はつきつつある。

※友人がブログにまとめているのを見て「ああ、いいなあ」と思ったんだ。

 

私のこと

・地方在住アラサー

・高卒後そのまま就職(経歴はまた別途まとめます)

同人活動歴5~6年の文字書き

・好きなことはとことんやりたい性格

・根は真面目なのにクズさも持ち合わせる

・元メンヘラ(一応完治)(若気の至りで腕が傷だらけ)

LGBT

(※これに関して言うと、戸籍上では同性に当たる方と交際をしているのでLって言い切るべきかもしれないんですが、とりあえずLGBTですということで)

 

つまり、割とありふれた低学歴の同人女ってことです。

 

これまでの経歴

高校卒業まで

大学進学を周りから勧められるものの、親に迷惑をかけたくない一心が強く、独り立ちしたい気持ちが強かったので先生の反対を押し切って就職。

実家は決して裕福ではなく、過去にやった病気(起立性調節障害)の関係で私立の通信制高校に進学したという負い目があったので、就職活動をする。

(実は両親からも「本当に大学に行きたいなら行っていい」と言われていたのだが、あと4年もお金をかけさせるなんてとんでもない、と思ってしまうようなそんな性格だった)

一社目は祈られるものの、二社目で無事に内定をいただく。

が、在学中の研修中にパワハラを受け、心が折れそうになったので担任に相談する。

担任激怒。そんなところ君が行くところじゃない!やめなさい!学校のことなんか気にしなくていい!と言ってくれたので、本採用前に辞退。

ちなみにその内定先からは「もう二度とおまえの学校からは新卒とらんよ?どういうことかわかる?おまえのせいで、おまえの後輩が苦しむことになるんだよ?」という責められ方をしたことを10年経った今でも覚えている。

担任は「そんなところにうちの生徒をこれ以上行かせるわけあるか!」と怒ってくれた。

今思えば、なんていい担任だったんだろうか。

というわけで就職先が決まらないまま高校を卒業。

 

卒業後5年間

とりあえず地元(※高校から車で一時間くらいの超田舎)で仕事を探そうと、レンタルビデオショップのバイトを始める。

これがまたいろいろと黒かったおかげで苦労したのだが、世間知らずだったためふわふわと仕事を続けた。

雇用保険の加入さえなかったが世間知らずの私はよくわかっていなかった。

今考えるともう少しきちんと世の中の仕組みを勉強しておくべきだったと思う。

ただ、これは今現在の社会にもいえることなのだろうけれど、そういうことを教えてくれる人って稀なんだ。結局私は自分で調べて「あっ、うちっておかしいんだ!」と知った。

しかし、この5年間でひとつの転機が訪れる。

それまでは離れていたオタクへの完全復帰である。

バイト代はほとんどがコスプレ費用になった。楽しかった。

おかげで鬱もほとんど治った。楽しみがあるということがこんなにも人を変えるのか。

そしてそこからTwitterを始めるようになり、そしてコスプレ以上に好きなものに出会う。

それが同人活動だった。

元から書くことが好きだったため(実は小説自体は小学生のころから書いていた)、ぐんぐんとのめりこむ。

そして、Twitterという場所が、世界の広さも教えてくれた。

自分がちょっとおかしな労働環境にいる、ということを知ったおかげで、「このままじゃだめだ」と思えるようになる。

当時の推し(今でも心底愛している)が、半歩でも進んだように。私も前へ進まねば。

そう思い、なんとか仕事を辞める。

ただし若すぎたのでその後は完全なノープランだった。

昔から行動はするくせにどこか詰めが甘いのである。

ちなみに初めて本を出したのはこのころ。自分の作った本、だとか、ビックサイトに自分のスペースがあるってことに当時は感動したなあ。

 

転職活動~失敗~再就職

有給消化後、高校のある市で就職活動を始め、さくっと一社の内定をもらった。

印刷工場だった。

だが、なんとたったの二週間で怪我をして退職する。

この経歴は履歴書にはもう一切書いていないし、たまに自分でも忘れてしまう。

膝の怪我だったためあまり身動きも取れず、自宅療養しつつ原稿に勤しんだ。

春~夏を終えて、秋ごろにようやく就職活動を再開。

高校のある市にあった零細企業のデザイナーになる。

ちなみにこのころの私は某虎と兎のヒーローアニメに夢中だった。

 

デザイナー半年、リストラされる

さて、デザイナーという肩書を手に入れたのははっきり言って不思議だった。

それとなくフォトショップは使えるが、その程度である。

しかし、引き継ぎの1か月間で先輩にイラストレーターの使い方を教えてもらい、

なんとか形にすることはできるようになった。

しかもその零細企業、土日祝は休みだし残業もほとんどないし(残業代もなかった)

まだ実家から通っていた私だったので必ず定時で帰させてくれた。

しかし零細あるある、試用期間は社会保険未加入。

変だな~とは思いつつ、当時はさっさとお金を貯めて引っ越したかったのでスルー。

…と、ぬるく過ごしていたところ、引っ越しが決まったあたりで

事業縮小による解雇通告を食らう。

社長に「すまん。いつ給料が払えなくなるかもわからん」と頭を下げられたので、ショックだったが転職活動をさっさと開始。

 

自分のやれることを探して彷徨ったのち、八百屋になる

幸い引っ越しは総て完了していたため、「家遠いね…」と嫌な顔をされることもなく

就職活動をする。

が、経歴がクソなのでデザイナーとして雇ってもらえるはずもなく、

貯えもそうそうなかったので、自分の得意なことを優先して就職先を探す。

といっても私が誇れることなんて接客業の経験くらいだったので、自ずと接客・販売へ。

そんな中、とある八百屋(デパ地下にあるお洒落な感じの)と出会い、

伝説の面接詐欺とのちに言われるほどの面接でパワーを発揮。

八百屋デビューすることになる。

 

八百屋を3年やって退職した

まだ二十代前半だった私がアラサーという年齢を迎えるまではそこにいた。

ホワイトとは言えなかった。

サービス残業・早出。一年も経っていないのに気付けば中間管理職の立場。

経営が上手くない経営者による自転車操業

それでも、とにかく人間関係が良好すぎた。

未だにそこで出会った方とは仲が良い。むしろ上司とすら仲が良く、店に顔をよく出しては可愛がってもらっている。

(ちなみに現在の恋人とはここで出会い、惚れ込みすぎた私が二年かけて口説いた)

そして現在の推しにここで出会い、またさらにがらっと人生が変わる。

これまではちま…ちま…と書いてるだけだったのだが、ありがたいことに「読者さん」と呼べる方が私を応援してくれるようになった。

そして推しカプへのパッションがやばすぎて、身体をいつ壊すのかと周りから心配されながらも必死に本を出す。

仕事はつらいけど、でも趣味が楽しいから生きていける!みたいな、そういう状況だった。

 

だが、やはりサービス業。

土日に休みたい。というか休みがもう少しまともに欲しい。(年間休日は90日台)(有給なんか使えない)

その思いがどうしても捨てきれなかった。

年齢的にも、そろそろ未経験への転職は難しくなってくる。

というわけで、会社側には適当な理由をでっち上げて、転職活動を始める。

 

いろいろあって、なんとか次へ

八百屋を辞めたのが1月半ば。1か月の有給消化中は穏やかに過ごそうとしていた。

1月末に恋人から交際の了承が。まさか本当に了承してもらえると思ってなくて

「本当ですか?」って敬語で聞き返してしまったのが懐かしい。

だが、2月に入って実家で大トラブル発生。

人を呪わば穴二つ、という言葉がなければ、本気であんなにも誰かを呪いたいと思ったことは初めてだ、と思うような体験をする。

そんな中、転職活動もぶっちゃけ難攻しまくっていた。

在職中から転職活動はしていたのだが、私の希望職は未経験が入り込むのが難しい。

半年くらい(休み休みだった期間はあるが)転職活動をしたのだろうか。

どれくらい落とされたかももう覚えていない。

 

しかし、4月に入ってから少しいい感じになった。

最終面接までいった企業があったり、内定が出たり。

そんな中、内定が出た企業と同時期に受けた企業から「正社員はまだ難しいけど、うちでスキルを磨いて正社員を目指すフルタイムのバイトにならないか?」という誘いがあった。

内定先かそちらか、と私は悩んだのだが、結局残業時間が少ないバイトスタートを選ぶ。

ちなみに、内定先は広告代理店のデザイナー。

スキルは足らないけど(専門学校卒業したくらいかなあと言われた)年齢的にもまだギリ若手だし、うちで育ってくれるなら育てるよ。一緒にやらないかい?という感じで内定をもらった。

残業が物凄く多い(慣れるまでは100時間もくだらない計算)+残業代がないというところが許容できずに断ったのだが、

紙広告に携われること、スキルアップになること、良い人が多そうだったことが迷った所以である。

直属の上司となる方が本当に話しやすくて…面接30分、雑談20分という感じ。お父さんみたいな人だった。

とはいえ、私の今回の転職はワークライフバランス重視なので、丁重にお断り。

返送されてきた履歴書には、手書きの手紙が添えられていた。ちょっと涙目になった。

 

と、いうわけで、私はようやく職を得た。

バイトスタートだが、事業に非常に興味が湧き、みなさん和気藹藹とやっていそうな雰囲気があり、面接でも楽しく話せた企業である。

しかも土日祝休み、残業も繁忙期以外は月10時間程度。

早く正規社員に上がろう!そして自分の車を買おう!

そんな希望を持って、スパコミ遠征後の私は意気揚々と新たな会社の扉を開いたのである。

 

まあ2か月で辞めたんですけどね

ようやくタイトルにたどり着いたわ。なげえわ。

なんで辞めたのかというと、まあ「合わなかった」の一言である。

というか、私自身もどれが決定打だったのかわからない。

どうしてこんな気持ちになるのだろう?と不思議で仕方なかったのだが、もう最後の数日間は完全に鬱状態になっていて、しんどすぎた。

これについてはまた別途まとめたいと思う。

 

そんな私が気持ちの整理をつけていこうと思う

と、いうわけで。

こう見ると、私は本当に低学歴/低スペック/経歴クソという、いわゆるブラック人材なのだということを自覚する。

だが、それは受け入れるしかないのだ。

というかそれを悲観していても始まらず、こう生きてきたのは外的要因もあったかもしれないけれど、基本的には自分自身の人生を自分で歩んできたに他ならない。

ネガティブなときはとことんネガティブなのだが、今はすごくすっきりとしていて、

これから先のことをきちんと考えたいと素直に思っている。

 

自分の中での変化が大きい。

大切にしたい趣味ができた。

同人活動は続けていきたい。大好きなものを、好きなように書いていたいのだ。

ゆくゆくは商業等にも手を広げていきたいと思う程度には、私にとって「書く」ことはかけがえのないものである。

加えて、大切にしたい人もできた。

交際としてはまだ半年程度なのだが(付き合い始めてから全然落ち着かない私で、恋人には本当に申し訳ない…)、私はできれば彼女とこれから先の人生を歩みたいと思っている。

お互いの関係を長い目で見ていることもあり、数年後とはいえ同棲をすることも決めている。

彼女自身も複雑な環境があるので、場合によっては養子縁組などをして

事実上結婚に近しいことをして、彼女を現在の血縁から引きはがすことも私は考えている。

それだけ尽くしたい、どうしても大切にしたい存在だ。

(なんでここまで彼女に惚れ込んでいるのか、自分でも不思議になるときがある)

そして、私は世間の男性と遜色ないくらいの働き手になって、彼女のことを支えていきたいのだ。

ある意味、趣味だけの人間だったら「今がよければいいや」になるのだけれど、

そうもいかないというのが、ここまで自分を見つめなおすきっかけであったかもしれない。

 

そんな私が、だらだらと書きながら自分の気持ちと、そして現状に整理をつける場である。